スリランカ元ジャヤワルダナ首相は戦後、日本に対する寛容と慈悲を呼び掛け賠償請求権放棄を宣言。勇気ある演説が日本の戦後復興の第一歩となりました。氏は自身の目の角膜の1つをスリランカ人、もう1つを日本人にと遺言、1999年に群馬県の女性に角膜が移植されました。
スリランカ元ジャヤワルダナ首相は戦後、サンフランシスコ講和条約会議において日本に対する寛容と慈悲を呼び掛け賠償請求権放棄を宣言。勇気ある演説が日本の戦後復興の第一歩となりました。氏は自身の目の角膜の1つをスリランカ人、もう1つを日本人にと遺言、1999年に群馬県の女性に角膜が移植されました。
スリランカの初代大統領
ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏が、1951年のサンフランシスコ講和会議において、「セイロン(現在のスリランカ)は日本の独立・自由を支持する。日本に経済上・軍事上何ら制限がないことは、アジアの将来にとって必要なことである」「憎しみは憎しみによって消え去るものではなく、ただ慈悲によってのみ消え去るものである」と演説しました。
日本に対する寛容と慈悲を呼び掛け、賠償請求権の放棄を宣言。この勇気ある演説が、日本の戦後復興の第一歩となりました。
また、ジャヤワルダナ氏は、自分の愛した両国をいつまでも観ていたいという思いから、自身の目の角膜のうち1つをスリランカ人に、もう1つを日本人のために役立ててほしいと遺言を残します。
日本では、1999年に群馬県の女性に角膜が移植されました。
https://www.city.hashima.lg.jp/0000012483.html