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日本は「言霊」と「革命」に支配されている。それを超える情けある言論を。 言霊に縛られた考え方と革命的な思想を使わず、情けのある言葉を発して行きます。 言霊:言った言葉は現実となる。  革命的な思想:現在の社会は間違ったものであり正しい考え方の人間で社会運営してゆくべきという思想。社会も永遠に近い時を経ている訳で全とっかえしたら大変な事です。 中国等に現出したこの世の地獄のような国家は酷いものです。

日韓基本条約とは?日本が朝鮮半島に残したインフラ・資産・権利を放棄し、当時の韓国の国家予算の2年分以上の資金を提供することで、日韓国交樹立、日本の韓国に対する経済協力、日本の対韓請求権と韓国の対日請求権という両国間の請求権の完全かつ最終的な解決がなされた

日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約 1965年に日本と大韓民国の間に締結された条約

日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(にほんこくとだいかんみんこくとのあいだのきほんかんけいにかんするじょうやく、朝鮮語: 대한민국과 일본국 간의 기본 관계에 관한 조약 (大韓民國과 日本國 間의 基本關係에 關한 條約))は、昭和40年(1965年)6月22日に日本と大韓民国との間で結ばれた条約。通称日韓基本条約。12月18日、ソウルで批准書が交換され発効した。

日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約

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通称・略称 日韓基本条約 署名 1965年6月22日(東京) 発効 1965年12月18日 言語 日本語、韓国語および英語 主な内容 日本国と大韓民国間の経済協力や関係正常化など 関連条約 日韓請求権並びに経済協力協定 日韓法的地位協定 日韓漁業協定 文化財及び文化協力に関する協定 日韓紛争解決交換公文

f:id:shinjihi:20220109003231j:plain 日韓協定の締結と経済支援を働きかけた朴正煕大統領

f:id:shinjihi:20220109003239j:plain 日本の第61-63代目の首相を務めた佐藤栄作

概要

当条約では、明治43年(1910年)に発効した日韓併合条約は「もはや無効」であることを確認し、日韓併合により消滅していた両国の国交の回復、大韓民国政府が朝鮮半島における「唯一の合法的な政府」であることが合意された。また当条約と付随協約により、日本が朝鮮半島に残したインフラ・資産・権利を放棄し、当時の韓国の国家予算の2年分以上の資金を提供することで、日韓国交樹立、日本の韓国に対する経済協力、日本の対韓請求権と韓国の対日請求権という両国間の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく日韓関係正常化などが取り決められた。なお当時の東西冷戦を背景に、当条約締結のための日韓交渉はアメリカ合衆国が仲介を行い、また朝鮮民主主義人民共和国は当条約を「無効」と主張している。日本は韓国に対して、無償3億ドルに等しい価値を有する10年間の日本国の生産物及び日本人の役務による供与、有償2億ドルを韓国政府が希望した韓国政府に合計5億ドル分供与する形式で、相互に請求権を放棄することで合意した。しかし、最終的に日本は約11億ドルの経済援助を行った。韓国は日本からの受けた請求権資金援助金で浦項総合製鉄、昭陽江ダム、京釜高速道路、漢江鉄橋、嶺東火力発電所などが建設されて、最貧国から一転して経済発展した[1]。

日韓基本条約によって日本から受けた資金当時5億ドルに含まれた個人への補償金であった無償援助3億ドル分含めて、韓国政府が経済発展資金に回したことが発覚して2014年に裁判になったが[2]、日韓請求権協定で受け取った資金を韓国政府が産業育成やインフラ整備など他の目的に使用したことについて「法律に沿うもので違法行為とは見ることはできない」などの理由で原告は棄却や敗訴している[3][4]。逆に韓国政府や裁判所の日韓請求権協定で解決との立場を変えた判決が、2012年や2018年に韓国の最高裁から出されている[5][6][7][8]。

条約交渉までの経緯

戦勝国」としての請求 編集 「日本国との平和条約」および「日本の戦争賠償と戦後補償」を参照 1949年3月、韓国政府は『対日賠償要求調書』では、日本が朝鮮に残した現物返還以外に21億ドルの賠償を要求することができると算定していた[9]。韓国政府は「日本が韓国に21億ドル(当時)+各種現物返還をおこなうこと」を内容とする対日賠償要求を連合国軍最高司令官総司令部に提出した。

日韓基本条約締結のための交渉の際にも同様の立場を継承したうえで、韓国側は対日戦勝国つまり連合国の一員であるとの立場を主張し、日本に戦争賠償金を要求した。さらに1951年1月26日、李承晩大統領は「対日講和会議に対する韓国政府の方針」を発表し、サンフランシスコ講和会議参加への希望を表明した[9]。

また韓国は対日講和条約である日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の締結時も戦勝国(連合国[注釈 1])としての署名参加を米国務省に要求したが、アメリカ合衆国やイギリスによって拒否された[10][11]。日本も「もし韓国が署名すれば、100万人の在日朝鮮人が連合国人として補償を受ける権利を取得することになる」として反対、アメリカも日本の見解を受け入れた[9]。

1951年(昭和26年)7月9日、ジョン・フォスター・ダレス国務長官顧問は梁駐米韓国大使に対して「日本と戦争状態にあり、かつ1942年1月の連合国共同宣言の署名国である国のみが条約に署名するので、韓国政府は条約の署名国にはならない」と述べた[10]。梁駐米韓国大使は「大韓民国臨時政府は、第二次世界大戦に先立つ何年も前から日本と戦争状態にあった」と反論した[10]。アメリカは「朝鮮は大戦中は実質的に日本の一部として日本の軍事力に寄与した」ため、韓国を対日平和条約の署名国からはずした理由とした[10]。

韓国側はこうしたアメリカ側の判断を受け入れがたいとみなし、韓国側は「韓国の参加を排除したことは非合理性が犯す非道さの極まり」と非難した[9]。兪鎮午日韓会談代表は1951年(昭和26年)7月30日に発表した論文で「韓国を連合国から除外する今次の草案の態度自体からして不当だ。第二次世界大戦中に韓国人で構成された組織的兵力が中国領域で日本軍と交戦した事実は韓国を連合国の中に置かねばならないという我々の主張の正当性を証明している」と主張した[10]。

最終的に、1951年9月8日の日本国との平和条約調印式に韓国の参加は許可されなかった[10]。

一方、参加リストから外された後も韓国はアメリカに使節団を派遣し、解放後の朝鮮における日本の公共・私有財産の没収について書かれた米軍政庁法令33号「朝鮮内にある日本人財産権取得に関する件」の効力を確認するなど、対日賠償請求の準備をすすめていた[9]。

韓国の主張に対し日本側は、韓国を合法的に領有、統治しており、韓国と交戦状態にはなかったため、韓国に対して戦争賠償金を支払う立場にないと反論し、逆に韓国独立に伴って遺棄せざるを得なかった在韓日本資産(GHQ調査で52.5億ドル[12]、大蔵省調査で軍事資産を除き計53億ドル[13])の返還を請求する権利があると主張した。

しかし、1951年7月25日付け大韓民国駐日代表部政務部作成の「説明書」には、「大韓民国が日本に要求する賠償は、上記のような戦闘行為を直接原因とした点は至極少ない」とあり、また「韓国併合条約が無効であるとして、そこから発生した当時までの被害を一括して賠償というのも難しい」とされていた[14]。

アメリカ合衆国の仲介 編集 日韓交渉の背後には1951年7月頃からアメリカ政府の主導があったことが知られており、当時の李承晩大統領が韓国を「戦勝国」としてサンフランシスコ講和条約に参加することを求めたものの、第二次世界大戦当時には既に朝鮮半島が日本の統治下にあり、日本と交戦する関係になかったために「戦勝国」として扱う根拠がないことからアメリカやイギリスをはじめとした連合国側から拒絶され、「当事国」になることができなかった[11]。

1951年9月の日本国との平和条約調印後、サンフランシスコ講和会議に参加することが許可されなかった李大統領は、日本政府との直接対話を希望し、アメリカの斡旋で日韓は国交正常化交渉に向けて、1951年10月20日に予備会談を開始した[10][11][15]。会談は東京の連合国軍最高司令官総司令部GHQ)でシーボルド外交局長の立会いのもとに行われた[11][16]。

条約の内容

条約は7条からなる。

第2条では、両国は日韓併合(1910年)以前に朝鮮、大韓帝国との間で結んだ条約(1910年(明治43年)に結ばれた日韓併合条約など)の全てを「もはや無効」であることを確認した。 第3条では、大韓民国政府が朝鮮にある唯一の合法的な政府であると確認された。 条約は英語と日本語と朝鮮語で二部ずつが作られ、それぞれ両国に保管されている。

この条約と付随協約によって国交正常化した結果、日本は韓国に対して約11億ドルの経済援助を行った。政府開発援助 (ODA) もその一環である。

付随協約 編集 日韓基本条約締結に伴い、以下の協定及び交換公文形式の約定が結ばれた。

財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(日韓請求権並びに経済協力協定) 日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定(在日韓国人の法的地位協定) 日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定(日韓漁業協定文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定 日本国と大韓民国との間の紛争の解決に関する交換公文 財産及び請求権に関する協定 編集 最終的に両国は、協定の題名を「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」とした。この協定において日本は韓国に対し、朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助すること、韓国は対日請求権を放棄することに合意した[34]。

以下、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定の第二条 両国は請求権問題の完全かつ最終的な解決を認めるより引用する

第二条 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。 この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。 「経済協力金」とその使途 編集 財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定によって日本は韓国に次のような現物供与及び融資をおこなった。

3億ドル相当の日本国の生産物及び日本人の役務 無償(1965年)(当時1ドル=約360円) 2億ドル相当の日本国の生産物及び日本人の役務 有償(1965年) 3億ドル以上 民間借款(1965年) 計約11億ドルにも登るものであった[35]。なお、当時の韓国の国家予算は3.5億ドル、日本の外貨準備額は18億ドル程度であった。

また、用途に関し「大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない」と定められてあった。

韓国政府は日本との交渉で補償金を受けとった後に韓国政府が個別支給するとしていたが、韓国のインフラ整備や企業投資の元手として使った。韓国政府は1971年の対日民間請求権申告に関する法律及び1972年の対日民間請求権補償に関する法律(1982年廃止)によって、軍人・軍属・労務者として召集、徴集された者の遺族に個人補償金に充てた。しかし戦時徴兵補償金は死亡者一人あたりわずか30万ウォン(約2.24万円)であり[36]、個人補償の総額も約91億8000万ウォン(当時約58億円)と、無償協力金3億ドル(当時約1080億円)の5.4%に過ぎなかった。韓国政府は上記以外の資金の大部分は道路やダム・工場の建設などインフラの整備や企業への投資に使用し、そのため「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展をおこせた[37]。

「個別支給」と韓国経済発展 編集 韓国政府が日本から受け取った金を日本政府の提案した個別支給を交渉で断って、使ったのだから補償金を支払えとの一部の韓国国内の要求に対して、2017年に請求権協定に深く関わった金鍾泌元首相は文書で、「1961年に新政府が発足したが、国庫が空っぽであり、国家安保や経済再建という国家財源確保のためには韓日会談の再開による日本の請求権資金しかなかった」と韓国は当時は世界の最貧困国だった事実を示した。さらに「請求権資金を元手に韓国は経済大国に発展し、恩恵を受けた企業は巨大な財閥級に成長した」と日本との国交と提供資金がどれだけ韓国の発展に必要だったのかを説明している。さらに誠意のある対策と支援を恩恵を受けた企業と韓国政府がする必要性に共感するとの考えを明かした。日本の裁判所も請求権協定により、韓国政府が個人への支払いの責任を取るべきだと結論付けている[38]。


日本は「言霊」と「革命」に支配されている。それを超える情けある言論を。 言霊に縛られた考え方と革命的な思想を使わず、情けのある言葉を発して行きます。 言霊:言った言葉は現実となる。その現実が良くない場合、言った人が責任を問われるので、良い事ばかり言う方が良い。 運動会前に「明日は雨になりそうで傘は必要」と言う人が居て、雨が降ると「お前が言うから降った」と抗議され、「傘の心配までして雨を呼び寄せた」という信仰。 革命的な思想:現在の社会は間違ったものであり、正しい考え方の人間で社会運営してゆくべきという思想。 社会も永遠に近い時を経ている訳で全とっかえしたら大変な事です。 中国等に現出したこの世の地獄のような国家は酷いものです。 最近の風潮は堅苦しい正義を振りかざすような言論がまかり通っています。 物事の複合的な面を認められずに、悪い処を見つけたら人格否定、社会的抹殺をするやり方は革命的な思考、嗜好、志向だと思います。