ナチス迫害から逃れたユダヤ人数万人を救った樋口季一郎中将は素晴らしい方です 更に終戦直前、日ソ条約を破って北方領土に侵略したソ連からの占守島防衛などにも尽力 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立 - 産経ニュース https://t.co/EDkdvktCrZ
ナチス迫害から逃れたユダヤ人数万人を救った樋口季一郎中将は素晴らしい方です
更に終戦直前、日ソ条約を破って北方領土に侵略したソ連からの占守島防衛などにも尽力
顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立 - 産経ニュース https://t.co/EDkdvktCrZ
「第2次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った陸軍中将、樋口季一郎(明治21年~昭和45年)の功績を顕彰する銅像を樋口の出身地、兵庫県南あわじ市などに建立する計画が進んでいる。2021年4月12日までに孫の明治学院大学名誉教授の隆一氏を代表とする銅像建立委員会が設立された。
設立委員には、南あわじ市の守本憲弘市長や戦略論研究で世界的権威の米歴史学者であるエドワード・ルトワック氏らが名を連ね、来年秋、南あわじ市の伊(い)弉(ざ)諾(なぎ)神宮などに銅像建立を目指し、5月に一般社団法人を設立し、約2000万円の寄付を募る。
樋口中将はハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年、ナチスの迫害を逃れソ連を通過してソ連・満州国境に逃れながら立ち往生していたユダヤ難民を満州国に受け入れ、脱出ルートを開き、救出人数は2万人とされている。
この2年後の40年、リトアニアのカウナスで杉原千畝領事代理が命のビザを発効しユダヤ人を救った。
また45年の終戦時、樋口中将は北の守りを固める第5方面軍司令官として、千島列島のシュムシュ島(占守島)や樺太での旧ソ連軍との自衛戦闘を指揮し、「ソ連の北海道への侵攻を阻止した」との再評価が進み、昨年9月、北海道の石狩に記念館が開設された。
ドイツと防共協定を結び、反対が根強い中、樋口中将は捨て身でユダヤ人難民を救出し、上司だった関東軍の東条英機参謀長もこれを不問に付した。樋口中将は、ユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデンブック」に掲載されたが、軍人という理由から、杉原のようにホロコースト(大虐殺)の犠牲者を追悼するためのイスラエルの国立記念館「ヤド・ヴァシェム」から『諸国民の中の正義の人』(英雄)に列せられなかった。
同委員会は、銅像建立を通じて人道行為の功績を発信したいとしている。
ルトワック氏は、「樋口は混乱して予測不能の困難な時代に率先して勇気ある大胆な行動を取った。彼に助けられ、戦後、大使や科学者になった者も少なくない。しかし、ヤド・ヴァシェムから英雄に処されていない。いつ、どこにも良い軍人はいた。樋口は広く顕彰されるべきだ」と話している。(岡部伸)」
「第二次世界大戦中にナチスに迫害されたユダヤ難民に「命のビザ」を発給した外交官杉原千畝さんは有名ですが、同じようにユダヤ難民を救いました。
1938年3月、ナチスから逃れて旧満州との国境に近いソ連領オトポールに着いた多数のユダヤ人は満州国政府に通過を拒まれ酷寒の地に留め置かれました。当時関東軍ハルピン特務機関長だった樋口さんは、満州国外交部にビザ発給を求め2万人ともいわれるユダヤ人が満州国から大連、上海、そして米国などに逃れることができたといわれています。
ポーランド駐在武官も務められたことがあってユダヤ人の境遇が分かっていたし、戦前の欧州では差別意識もあってアジア人に家を貸すのはユダヤ人で、彼らが困っているのを助けるのは当然と考えたものです。人道主義にもとづき行動する軍人であったのです。
また、軍人として千島列島東北端の占守島(シュムシュ島)の戦いの指揮をとりました。1945年8月14日、日本のポツダム宣言受諾後もソ連は樺太や千島で侵攻を続け、8月18日未明ソ連軍は占守島への上陸をはじめました。当時、ソ連は樺太から北海道まで占領する意図をもっていたといわれます。軍指令官として指揮をとっていた樋口さんは自衛のため、「断固反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」と命令し、ソ連軍に反撃、この抵抗によって、ソ連軍の占守島や北海道の占領を阻止したのです。」