イギリス軍の慰安婦
1893年のインド駐留イギリス軍の売春制度の調査では利用料金は労働者の日当より高くまた女性の年齢は14 - 18歳だった。当時インドのイギリス軍はバザールが付属する宿営地に置かれバザールには売春婦区画が存在した
第二次世界大戦では、イギリス軍は公認の慰安所は設置せず現地の売春婦や売春宿を積極的に黙認した。1944年3月の米軍の日系2世のカール・ヨネダ軍曹のカルカッタでの目撃証言では、6尺の英兵が10歳のインド人少女に乗っている姿が丸見えで、「強姦」のようだった
ドイツ軍の慰安婦
1939年9月9日、ドイツ政府は軍人の健康を守るために街娼を禁止し、売春宿 (Bordell) は警察の管理下におかれ、衛生上の監督をうけ、さらに1940年7月にはブラウヒッチュ陸軍総司令官は、性病予防のためにドイツ兵士のための売春宿を指定し、それ以外の売春宿の利用を禁止した
ソ連のスターリンは売春を禁止していたため、東方の占領地では売春宿を新設し、慰安婦はしばしば強制徴用されたといわれる
2005年1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組「戦利品としての女性・ドイツ国防軍と売春」では、ドイツ軍が、フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、後にはポーランドやウクライナの女学校の生徒を連行し、慰安婦にしたことを報じた。
フランス軍、特にフランス植民地軍では「移動慰安所」という制度があった。「移動慰安所」と呼ばれ、第一次世界大戦・第二次世界大戦・インドシナ戦争、アルジェリア戦争の際に存在した。移動慰安所はモロッコで成立したといわれ、ほかアルジェリア、チュニジアにも存在した
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アメリカ本国は全国レベルでは公娼制を持たなかったが、植民地で公娼制度を導入した。米西戦争でスペインに勝利したアメリカが1898年にフィリピンを占領してからは雨後の筍のように売春宿が蔓延
米軍目当ての売春宿と性病検査はその後も第二次世界大戦、ベトナム戦争、1990年代の米軍の一時撤退まで継続し、廃止されることはなかった
1942年に昆明では、フライング・タイガースが性病感染で有名な売春宿のせいで「空軍の半数が飛べなかった」とのセオドア・ホワイトの証言がある。1943年夏のシシリー島占領後は、ドイツ・イタリア軍の慰安所を居抜きで利用している
アメリカ軍は太平洋戦線ではビルマ方面で売春婦をインドで集め慰安所を設置していた。
朝鮮戦争ではアメリカ軍の為に韓国人女性が慰安婦として集められる(#大韓民国軍慰安婦)とともに、日本人慰安婦も在日米軍基地周辺、また朝鮮半島へも日本人慰安婦が連れて行かれたこともあった
アメリカの支援を受けて建国された韓国では、朝鮮戦争以降、韓国政府が韓国軍・米軍向けの「特殊慰安隊」を設立した。2002年に韓国の研究者金貴玉が、朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったとし、韓国軍は1948年の政府の公娼廃止令に背いて、約3年間不法に公娼を設置・運営していたと発表して以降、韓国軍慰安婦の実態調査も開始されたが公文書の閲覧が制限されてもいる(詳細は本項#大韓民国軍慰安婦参照)。