「団塊の世代」は定義によれば
第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれた世代だ。
その方々にも是非、読んでみて欲しい。
令和元年(2019年)にはおよそ70歳から73歳になっているだろう。
彼らの多くは「体制」に従うのに反発を感じた世代だと言う。或いは「体制に反発するのが当然」「体制に反発しないとカッコ悪い」という人もいるだろう。
しかし、その下の我々以降の世代はバブルの反省もあり「ちゃんとしてるかどうか見極めよう」という姿勢があるように思う。更に若い世代は自分で仕事を創ってそれを通じた社会貢献や自己実現をしよう、と自然に動く頼もしい起業家精神に溢れる人も多い。
「体制に反発しないとカッコ悪い」というのはある種の「甘え」だ。やがて「体制に反発してれは良い。世の中が良くならないのは体制のせいだ。」となってしまう危険性が高い。
民主主義国である日本において「いまの世の中はダメだ。あの政治家はダメだ。あの政権、政策はダメだ。」と言うなら【代替案】を提示しなければならない。文句だけ言うのは主権者である国民の義務を果たしていない。もしも自分で主体的に動けないなら選挙の投票行為で示すか、議員に立候補するしかない。今の時代は自らSNS等で発信する事も出来る。
そこに求められるのは具体的な【代替案】である。
「身を切る改革」?
例えば、国会議員全員の給与をゼロにしても、国の財政への影響は軽微であり、国民はちっとも豊かにならない。むしろ国会議員には日本のGDPを何十兆円、何百兆円も増やす政策を立案し、実行して欲しい。
「コンクリートから人へ」?
自然災害の多くインフラ老朽化している日本では事故の可能性を高めるだけで何も良いことはない。むしろ国会議員にはインフラ強化、国土強靭化の為の公共投資を行い景気を刺激するとともに国民の安全をはかり、財産、命を守って欲しい。
「体制」などと言う抽象的なモノに反発し、「打倒アベ政治!」とか言ってないで、具体的な【代替案】を提示すれば、心ある有権者は聞く耳を持つのだ。「ダメだ」とだけいう「甘え」から脱却し具体的な【代替案】を提示した時にスタートラインに立てるのだ。
これが分からない、或いは分かりたくなく、或いは、政治を機能させない事を目標にしている野党が多すぎる。邪魔をするのが目的ならば優秀な部類かも知れない。
僕は一部の #野党とマスコミは敵国の手先 だと思っているので日本国民に政治不信を植え付ける為の活動をしていると考えれば野党はその目的をそこそこ達成している。
民主主義国家である日本国民が政治に興味を持ち具体的な安全保障政策や経済政策に具体的な意見を持ち、国会議員を支えるようになれば一番困るのは日本をライバルや仮想敵国とするような国々であろう。
その【狙い】があると仮定すると「団塊の世代」の「甘え」はその戦略目標の達成を手助けしていることになり、そこに気づいた下の世代は苛立ちを覚えているのだ。
70年安保運動が収まり1975年に大ヒットした歌に「『いちご白書』をもう一度」がある。歌詞には「就職が決まって髪を切ってきた時、もう若くないさ、と君に言い訳したね」とある。
作詞作曲の荒井由実が意図したかどうかこれは当時、25歳から28歳ぐらいになる「団塊の世代」の「甘え」への鎮魂歌であったのではないか?そして大ヒットしたこの曲を聴いた普通の団塊の世代の方々は普通の社会への貢献を始めていた筈なのだ。
何十年も経って暇になったのかも知れないが【代替案】を持たない「甘え」はやめていただき、本当に現実的に何が重要な事なのか、来たる未来の世代のために行動して欲しい。
注)「団塊の世代」も「体制」と同じように抽象的なモノであり、その定義も範囲も難しいし、その時代に生まれた方々がみんなここに書いたような方々ではない事は承知しています。そして個人的には世代論という抽象的なモノで解決しないと思うし、日本国民を分断するような世代論は好きではありません。しかしながら、テレビ新聞世代であろう「団塊の世代」以上とそれより下の世代にはインターネットメディアへの慣れなどについては隔たりがあると感じてはいます。
なので、お互いの常識やモノの見方が違うという事は一回、書いておきたかったのです。
長文乱文、失礼いたしました。
ここまで読んでいただいた方々には御礼申し上げます。
ありがとうございます♬