日本の皇室には、遼遠な最も古い歴史があり、御生母がどなたでも、天皇直系の男子は皇位継承に適格であったという事実が万世一系の維持を容易にしているが、連綿と皇統が続き、途絶えることがなかったのは、天皇直系の男子の養子縁組によるものであったと、はっきり断言できる。
この場合、天皇は皇族の方々の中から、ご養子を選ばれているが、その実例を挙げれば、第百二代後花園天皇の例を除いて、他にその事例を見出すことはできない。後花園天皇は北朝第三代崇光天皇(後伏見天皇の皇孫)の直系であらせられ、後小松天皇のご養子として第百二代の皇位を継承された方である。
「昭和御大典印象記」より
或国の偉大さと云うものはその国の面積で決められるものではなくて、その国が世界に及ぼす影響や、その国の過去からの伝統によって決まるものである。
〈中略〉日本は明らかに偉大な国である。先頃その即位の大礼を執り行わせられた現在の日本の統治者は第百二四代の天皇(昭和天皇)に在らせられるが、世界の中にこの半分の古さでもあると自称し得る国が在るか、どうか疑わしいものだ。
だから日本の君主の即位式には畏敬の念や尊崇の情を起こさせずには置かないようなものが尽く含まれている。即ち、偉大な国民、建国の古い帝国、偉大な伝統、連綿二千五百余年の古(いにし)えにさか登る皇朝等があるからである。
リチャード・ポンソンビ・フェイン=イギリス貴族。1878年(明治11年)生まれ。1919年(大正8年)、東京に住居を構える。英語教師として過ごすうち、神道、皇室に魅せられ、1925年(大正14年)京都に転居、1937年(昭和12年)に没するまで京都で過ごした。日本における生活—居・食・住等は、すべて和風様式を貫き、京都御所には土下座して遙拝した。京都御所における昭和天皇即位の大礼も拝観した。当時の人々は、彼を「碧い眼の高山彦九郎」と呼んだ。