#野党とマスコミは敵の手先

日本は「言霊」と「革命」に支配されている。それを超える情けある言論を。 言霊に縛られた考え方と革命的な思想を使わず、情けのある言葉を発して行きます。 言霊:言った言葉は現実となる。  革命的な思想:現在の社会は間違ったものであり正しい考え方の人間で社会運営してゆくべきという思想。社会も永遠に近い時を経ている訳で全とっかえしたら大変な事です。 中国等に現出したこの世の地獄のような国家は酷いものです。

忌避感と戦争反対、防衛。日本に、まだまだ潜む間違った「言霊」信仰

井沢元彦さんの著書に詳しいし、完全に受け売りだけど、うろ覚えで日本にまだまだ潜む間違った「言霊」信仰について書きたい。

(あなたを納得させる話と感じたら井沢元彦先生のお陰ですし、何だかなぁと思ったらオイラの文才の無さなので悪しからずお願いします。)
 
A)日本人なら「縁起でもない事は言うな」という考え方は誰しも持ってると思う。
 
B)人間関係においてなら、むしろそれは正しい態度だろう。
 
C)ところが、社会の中の議論になるとリスク管理という面で「縁起でもない事を言う、検討する事」が非常に大事になる。
 
D)会社でもそうだ。「この商品が売れなかったからどうする?」「工場で事故が起こったらどうする?」「為替が変動したらどうする?」など様々なリスクを想定して活動できる企業が生き残る。
 
E)家庭内では、なかなかそんな会話になりにくい。「お父さんがクビになったらどうする?」「お兄ちゃんが逮捕されたらどうする?」「妹が補導されたらどうする?」「お母さんが逃げ出したらどうする?」という事をオープンにしょっちゅう語る家庭は少ないだろう。
 
F)従い「良くない事が起こったらどうする?」「それを防ぐにはどうする?」という意識が希薄になり、「みんなチャンとしましょうね。」「ウチの子に限って」などという意識が優勢になり勝ちだろう。
 
G)なぜか?それは日本人には「縁起でもない事を言うと、現実になる」という深層心理の信仰があるからだ。そう言うと驚かれると思うが、運動会の前の日にオイラが「雨が降ればイイのに」と言ったとして、次の日に雨が降ると多くの人が「お前があんな事、言うから降ったじゃないか!」と冗談ながら言うだろう。人質事件で解決が長引き人質と犯人そして包囲する警察の疲労もピーク、体力の限界が近づき、警察が「場合によっては強行突入する。」と記者会見したとする。マスコミは質問する。「強行突入の際に犠牲者が出る可能性があると思うが、犠牲者が出たらどうするのか?」と。真面目な警察の方なら①「様々な状況を全て勘案すると人質の体力は限界、犯人の疲労もピークを迎え、いつ暴発的な惨事が起こるか分からない。従い、強行突入した場合、万が一、犠牲者が出る可能性もあるが、手をこまねいて状況の悪化を招く事を防ぐのが最善の策と判断しました。」と答えるかも知れない。
日本における警察の優等生的な答えはこれをはぐらかし②「犠牲者が出ないように最善の努力を払い行動します。」という感じだ。殆ど変わらないようにも思えるが、②は優等生的で①は批判の対象になる可能性が高い。なぜか?
 
H)それは①の回答で「犠牲者は出る可能性がある。」と「言った」から批判されるのだ。現実には犠牲者が出た責任は本質的には犯人の責任だし、警察は全員無事保護、犯人の逮捕を目指している事は①の回答でも②の回答でも変わらない。違うのは「縁起でもない事を言った」か「言わなかった」かの違いだ。本当に犠牲者が出た際の批判ぶりは想像に難くない、犯人の責任なのに。
 
I)これこそが日本がリスク管理に弱い理由だ。社会の事でオープンにリスクについて悪い予測をもして、それを回避する為に議論し最大限の努力をする、これが成熟した社会だろう。勘の良い方はこのブログが何を書こうとしているのか、ピンと来たタイミングだろう。
 
J)そう、はしょって言えば、安倍政権は「万が一、国家存立の危機の際には集団的自衛権を行使し、仲間の国々と共に日本を守ります。」と安全保障法制の整備を主張した。リスク管理だ。これに対して野党は、日本人には間違った「言霊」信仰が存在する事を知ってか知らずか、「戦争法案」とレッテルを貼り、「縁起でもない事を言ってるのは安倍政権だ、というメッセージを打ち出した。正直に申し上げて、この野党の稚拙な戦術はかなり効果があったように感じる。
野党は「戦争法案」だ。これは「戦争準備だ。」などと、言い募った。
そこでオイラは #反戦ゆえに安保法案賛成 と言い続けている。
安倍政権貼り最悪の状況を想定してそれでも生き残るような施策を取って置く事で安心が増す、或いは防衛であれば集団的自衛権の行使を可能にする事自身が抑止力向上に寄与するという主張だ。
 
K)高校生、大学生、音楽アーティスト、瀬戸内寂聴国会議員(笑)らがデモに参加した。
 
L)本来なら野党でも国会議員ならば、日本の防衛について「最悪の状況を想定して最も日本国民の平和、財産、命をまもることに寄与する施策は何か?」という事を議論すべきだ。
しかし、知ってか知らずか、「縁起でもない話を議論したいのは与党だけ。」というポピュリズムに堕した態度で戦後最長の国会での議論に野党は殆ど貢献できなかった。
むしろ野党は法案が衆議院を通過した後、参議院での審議さなかの2015年9月になり高校生らと一緒に太鼓デモに「絶対に止める」とばかりに活路(笑)を見出した。いささか脱線した。
 
M)国会議員の役割は日本国民の平和、財産、命を守り、明るく楽しく健康的な生活を維持向上する為にすべき事は何かを投票してくれた国民の代表として、誠実に議論する事である。議場や通路を封鎖して審議妨害をしたり、民主党福山哲郎議員や白真勲議員のようにマイクを奪おうとしたり、民主党小西議員のように委員長に飛びかかったり、津田弥太郎議員のように女性議員を羽交い締めにして引き倒したりする事ではない。(怒り)
あれを自分の子ども達になんと説明するのか?日本の子どもに日本の国会議員の質の劣化を知らしめて得するのはどこの国々だろうか?日本の国会議員の質が高まらず国家的な危機を乗り越えるチカラを持てなくなる時に得するのは日本人ではなく、日本を敵視する外国であろう。
 
N)むしろ、国会議員は「縁起でもない事を考え、討議し、その事態にならないような政策を立案し、その事態になるならば最も被害ダメージを減らす為の政策を立案する」そういう存在なのだ。
 
O)「侵略されない。縁起でもない。」
「災害は来ない。縁起でもない。」
「不況は来ない。縁起でもない。」
こういう思想の方は国会議員になるべきでないし、日本国民のみんなが、「縁起でもない」事を考え、防止するという思考法を身に付ける時、日本の民主主義は一歩だけ成熟するのだ。
 
P)そう、間違った「言霊」信仰を捨て、超えて行こう!

Q)思い出したが「憲法9条があれば戦争は起こらない!」も「大本営発表 本日、大日本帝國は鬼畜米軍に多大な被害を与えた(ウソ)」というのも「神国日本は不敗だ!」も「○○と言えば、○○となる」という間違った「言霊」信仰であり、そんなモノは超えて行こう。

 
そこで、オイラのタンブラーのブログは随分と前から「言霊と革命を超えて」としているのよ。⬇︎
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日本は「言霊」と「革命」に支配されている。それを超える情けある言論を。 言霊に縛られた考え方と革命的な思想を使わず、情けのある言葉を発して行きます。 言霊:言った言葉は現実となる。その現実が良くない場合、言った人が責任を問われるので、良い事ばかり言う方が良い。 運動会前に「明日は雨になりそうで傘は必要」と言う人が居て、雨が降ると「お前が言うから降った」と抗議され、「傘の心配までして雨を呼び寄せた」という信仰。 革命的な思想:現在の社会は間違ったものであり、正しい考え方の人間で社会運営してゆくべきという思想。 社会も永遠に近い時を経ている訳で全とっかえしたら大変な事です。 中国等に現出したこの世の地獄のような国家は酷いものです。 最近の風潮は堅苦しい正義を振りかざすような言論がまかり通っています。 物事の複合的な面を認められずに、悪い処を見つけたら人格否定、社会的抹殺をするやり方は革命的な思考、嗜好、志向だと思います。