ひらがなだけでかんがえたら、
ひらがなだけでかんがえたら、かんがえをふかめるのはむずかしいかもしれない。よむほうもつらい。また、たとえば「きせい」といわれても、るーるのはなしか、こきょうにかえるはなしか、すでにあることのはなしか、とっぴなこえのはなしか、ほかにたよっていきるはなしか、しょうぎのはなしか、わからない。こうしてよむのもつらい。(わらい)
ひらがなだけで考えたら、考えを深めるのは難しいかも知れない。読む方も辛い。又、例えば「きせい」と言われても、ルールの話か、故郷に帰る話か、既にある事の話か、突飛な声の話か、他に頼って生きる話か、将棋の話か、分からない。こうして読むのも辛い。(笑)
どうだろう。
漢字仮名交じり文の豊穣な意味の伝わり方を実感出来たのでは無いだろうか?
語彙の貧困さは思考の貧困をもたらし、
語彙の豊富さは思考をも立体化させる。
昔の人が「本を読みなさい。」と言った意味の深さが沁み入るようだ。
言葉は他の言葉と共に使われ、初めての言葉でもその位置、役割、などにより、人の心と頭に確実に記憶を残して行き、シナプスが繋がるように実体感を持って意味が分かるようにもなって行く。
勿論、とことんピンと来なければ、辞書を引いたり、人に聞いたりすれば、良いが、漢字仮名交じり文、は手がかりの宝庫であり、先人たちが、やまとことばを大切にしながら、大陸から伝わった支那あたりの言葉を漢字で表現し、欧米からの言葉をカタカナで表記するという天才的な表現方法を編み出してくれたお陰で、日本人は中華の文化の匂いも欧米の文化の匂いもかぎ、毎日、耳から聞いて脳内の神経回路を刺激しているのだ。
繰り返すが、ボキャブラリーのリッチさは、思考の豊かさなんだ。
こんな言語を駆使している日本人が、多少とも外国語が上手くないのも無理からぬことだ。
また、日本と欧米以外の殆どの国では大学レベルの高等教育は自国語で出来ないので必然的に欧米語などを学ぶのがインテリの基本となっているし、留学も当たり前である。
欧米ではラテン語の素養が無いと、高級な語彙について「想像が出来ない」という状況がある。
例えば「閉所恐怖症」と日本語で見れば子どもでも意味は何となく分かりそうだが英語の"claustrophobia"ではどうだろうか?
おそらくcloseという語源から来てると辛うじて想像は付くかな?
では、英語の"acrophobic"はどうだろ?
「高所恐怖症」なんだが、ウーム、アクロバティック?から?なんで高所かな、多分、英語圏の子どもは初見では分からないが、日本語の高所恐怖症は初見で伝わる。
漢字の良さだ。
また、一方、中国語と思われている多くの漢字の成語などは明治前後に日本が創り、支那に逆輸入されたものだ。
「幕末以降の和製漢語の例
文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義など。」
このように、現代日本語を形成する漢字仮名交じり文は、かなり優秀であり、かつ日本人を形作る上でも重要な役割を果たしているのだと思う。
上記の文章を全て「ひらがな」だけで読んでみたいと思わなければ、あなたも立派な日本人の言語アタマなんだと思う。
