1952年 国会で戦犯在所者の釈放等に関する決議が採択される。
これによって全ての戦争犯罪人とされた人たちは「公務死」と扱われることとなった。これは日本政府及びサンフランシスコ講和条約に則った手続き。
1956年サンフランシスコ講和条約第十一条の手続きに基づき関係十一カ国の同意のもと「A級戦犯」は赦免され釈放された 。
1958年迄に同様に「BC級戦犯」が赦免され釈放された 。尚、A級などは罪の重さでは無く、A項、B項、C項などと言い変えられる形式的区別。但し、B級、C級には朝鮮人、台湾人(戦時は日本国籍)が含まれるので、外国勢力や左翼は敢えてA級を問題にしている。
また【平和に対する罪】【人道に対する罪】は戦勝国にもあり、東京大空襲などの都市空襲、原爆投下などによる一般市民虐殺が罪に問われない事は【東京裁判】が裁判の名を借りた戦勝国の敗戦国へのリンチとの評価を強化している。
1980年8月7日 朝日新聞加藤千洋記者が中曽根首相の靖国神社参拝を批判。支那、中共に出掛けた社会党田辺誠などの訪問団が「問題ではないか」と焚きつける。支那、中共の非難が始まる。田辺誠はこれも嘘で捏造された【南京虐殺資料館】の設立に尽力した。
ここから朝日新聞を中心とした左翼新聞などのメディアが長年に亘り、日本国内外で【ジャパン ディスカウント】の武器としてロビイングのネタに使い続けている。