#むちゃくちゃな事を言う
要するに「法的に男性や女性であっても内心が◯◯なら◯◯と同じ扱いを認めて欲しい」という切実な願いを持っている訳ですよね?
それは分かる。
それは分かるけど、
民主主義の「政府にも内心の自由を侵す権利は無い」という趣旨だよね?
分かる。けれども
それは「法的にブラジル人であっても内心がアメリカ人ならアメリカ人と同じ扱いを認めて欲しい」と何が違うの?
#LGBT #思考実験
それは「法的に結婚してても内心が独身なら独身と同じ扱いを認めて欲しい」と何が違うの?
それは「法的に囚人であっても内心が無罪なら無罪な人と同じ扱いを認めて欲しい」と何が違うの?
それは「法的に成人でも内心が未成年なら未成年と同じ扱いを認めて欲しい」と何が違うの?
本質的な違いは?
教えてください😊
性的な自認は法的な枠組みから外すけど他の法的な位置付けは外せない理由はなんだろう?
常識?
秩序?
まぁ思考実験なんだけど😃
もしも他の法的な枠組みは外せない理由が秩序とか常識とかなら、性的な自認についても常識や秩序から考えてはダメな理由も必要になる。
「内心の自由における性的な自認」に留めず、女性トイレに入るとか女性スポーツに出るのを認める、つまり法的枠組みを外す理由は?
自分は心の底から女性なのに男性として扱われる苦しみ。
自分は心の底から男性なのに女性として扱われる苦しみ。
「内心の自由においての性的自認」に留めるのは苦し過ぎるから法的枠組みも性的な自認に従って欲しいんだよね?
それでは他の「内心の自由」は?
自分は心の底からアメリカ人なのにブラジル人として扱われる苦しみ。→「帰化しろよ!」ってことか?
自分は心の底から独身なのに既婚者として扱われる苦しみ。→「離婚しろよ!」ってことか?
自分は心の底から無罪なのに囚人として扱われる苦しみ。→「再審請求しろよ!」ってことか?
自分は心の底から未成年なのに成人として扱われる苦しみ。→「どうしようも、、、?」
自分は心の底から黒人なのに白人として扱われる苦しみ。→「どうしようも、、、?」
この内心の苦しみは他人から、はかり知れない。
そっかぁ!
分かったぞ!?
オレは間違ってた。本人に変えられない生物学的な差を法的に固定しちゃダメ!という理論だとしたら、先の例(ブラジル人、独身、囚人などの話は法的な話だから)は殆ど的外れだ。
#思考実験 してみるもんだ!笑
要するに「生物学的な差では無く、内心の自認に、法律を合わせましょう」と言う事か!
つまりアメリカなどでは生物学的に白人とか黒人とかは差別があったけど法的な差を無くして来た歴史があるから、その相似形としての
#LGBT 議論があるのか?
それで違う歴史を歩んでいる国からは分かりにくいんだろうな。
話を戻すと
生物学的な差を法的な差にしてはダメだという人種差別反対の流れがある
同じように男女差も生物学的な差である
従って男女差別も無くした
ここまでは良い
ここに「内心の自由」「性的な自認」 #LGBT の問題が出てきた
これを「生物学的に男性や女性でも差は付けない」と言う話と「内心の自由における性的自認」を認めると言う話が合体しているのが、昨今の女性トイレに入る生物学的男性とか、女性スポーツに出る生物学的男性の話だ。
アメリカもここまで来たら、そっち方向に突っ走るのか?
或いは常識とか秩序みたいに時代によって変わりうるものの影響で、このあたりで揺り戻しがあるのか?
「男女」という生き物として根源的な事柄を「自認」で扱って良いのかね?という、普通の違和感はある。
「生物学的な枠組みから個人を放て」という論理だと「未成年と成人」問題が次に来るという予測になって来る。
つまり「オレは子供だ〜」という人は本当にいるから子供として保護しなければいけないし、養育義務、教育を受けさせる義務が親や社会に継続的に発生するという論理になる。
既に現実に沢山いる「引きこもりニート」がそうなのかも?