【日米戦争は不要だった】フィッシュ議員のルーズベルト大統領への怒り【ハルノートをアメリカ議会に知らせなかったルーズベルト大統領】
日本は、面積がカリフォルニアにも満たない人口八千万人の比較的小国であった。
天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国であるソビエトの脅威に常に直面していた。
天皇は名誉と平和を重んずる人物であり、側近の攻撃的な軍国主義者を制止するために、できるかぎりのことを行っていた。
日本はフィリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。
しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしには存立できなかった。
日本は、コメおよび石油の購入を平和的に保証されたならばどのような条約にでも署名し、南方に対するいかなる侵略も停止したであろう。
ただ、自由貿易を認めるだけでよかったのだ。
どうしてイギリスが極東における数多くの領土を保有する絶対的な権利を持つべきであり、その一方で日本が近隣諸国からコメ、石油、ゴム、錫その他の商品を購入することさえもできないくらいの制限を米国によって課せられなければならないのか。
こんな理不尽な話はあり得ない。
米国の最後通牒を受け取った時点の日本は、四年にわたる戦争の結果、中国のほとんどの海岸線、大都市、かつ広範な領土および満州全土を掌握し、極東最大の勢力となっていた。
このような強力な国家に対し、米国はこれ以上何を要求できると言うのか。
天皇および近衛首相は、平和を維持するために信じられないほどの譲歩をするつもりでいたのである。
非常に平和愛好者である首相の近衛公爵は、ルーズベルトとの会談を繰り返し要望していた。
在日米国大使であったジョセフ・グルーは、日本がどれだけ米国と平和的関係を保ちたいと希望していたか承知しており首脳会談を強く要請した。
日本は米国との開戦を避けるためならば何でもする用意があったであろう。
しかし、ルーズベルトはすでに対日戦、対独戦を行うことを決意していたというだけの理由で日本首相との話し合いを拒否した。