#野党とマスコミは敵の手先

日本は「言霊」と「革命」に支配されている。それを超える情けある言論を。 言霊に縛られた考え方と革命的な思想を使わず、情けのある言葉を発して行きます。 言霊:言った言葉は現実となる。  革命的な思想:現在の社会は間違ったものであり正しい考え方の人間で社会運営してゆくべきという思想。社会も永遠に近い時を経ている訳で全とっかえしたら大変な事です。 中国等に現出したこの世の地獄のような国家は酷いものです。

実はイエス・キリストとエジプトのホルス神、古代ギリシャのアティス、インドのクリシュナ、ギリシャのダイナイシース、ペルシャのミスラとの類似性は全て同一人物と思えるほど凄い!

ホルスは(BC3000 エジプト)12月25日聖母イシスメリーから生まれた
ホルスの誕生には東方の空に星が現れ、三人の王が祝いに駆けつけ新しい
救世主として崇拝した
ホルスは12歳で天才児として教育者となり30歳でアナプによって洗礼を受け
聖職活動を始めた
ホルスは12人の使徒達と旅を共にし病を治したり水の上を歩くなどの
奇跡を起こした
ホルスは多くの名前で知られていた
真実、光、神の子、よき羊飼い、神の羊など様々だ
タイフォンに裏切られた後 十字架に張りつけられ埋葬されたが
3日後に生き返った
 
このホルスの話が原作かどうかは別として
その他多くの異文化の神話にも同じような内容が共通している
 
紀元前1200年古代ギリシャのアティス
12月25日 聖母ナナから誕生
十字架に架けられ死亡した三日後に蘇える
 
紀元前900年インドのクリシュナ
聖母デヴァキから誕生 その晩に東方の輝く星が出現
彼は弟子達と奇跡を起こし
死亡した後復活した
 
紀元前500年ギリシャのダイナイシース
12月25日聖母から誕生し旅の宣教師となり
水をワインに替えるなどの数々の奇跡を起こした
 
彼は王の王 神の唯一の息子 アルファとオメガなど その他多くの呼び名で
知られた
そして死亡した後復活した
 
紀元前1200年ペルシャのミスラ
12月25日聖母から生まれた
12人の弟子をもち奇跡を起こした
死亡して埋葬された3日後に復活した
彼もまた真実、光やその他の呼び名を持っていた
興味深い事にミスラの神聖な崇拝は日曜日だった
 
実は多くの時代の異なる世界の様々な神や救世主も同じ様な話になっている
ここで疑問が残る なぜこの内容なのか?
 
なぜ12月25日にバージン(処女)から生まれるのか?
 
なぜ死亡した3日後に必ず復活するのだろうか?
 
なぜ12人の使徒なのか?
 
では答えを探すため最も最近の”太陽の救世主”を分析してみよう
 
イエス・キリストは12月25日ベツレヘム聖母マリアから誕生した
彼の誕生は当方の輝く星によって知らされ
3人の博士が新しい救世主を崇拝するために訪れた
彼は12歳で天才児として教育者となり
30歳で宣教師ヨハネの洗礼を受け聖職者となった
キリストは12人の弟子と旅を共にし 病を治したり
水の上を歩いたり人を生き返らせたりと様々な奇跡を起こした
彼は王の王、神の子、世の光、アルファとオメガ、神の羊など
その他多くの呼び名で知られた
弟子のユダに裏切られ30枚の銀貨を売り 十字架に架けられ命を絶った
棺に納められた
3日後生き返り天国へ渡った
 
先ずこの誕生日は完全に占星学的である
 
東方の星とは最も輝く巨犬座のシリウスを指している
シリウスは12月24日にオリオン座の3つ星と直線に並ぶ
 
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3人の王と最も輝くシリウスは12月25日の太陽の昇る位置を指している

 

だから3人の王が東方の輝く星に導かれ
太陽の誕生を訪れる


太陽の誕生(日の出)のことだ

 

シリウス―― 神の子 ―― 3人の王(博士)

聖母マリアとはおとめ座 乙女バージンのことである
ラテン語で乙女座はバージン(聖母)である
古代エジプト文字では乙女座はMと表記される
だからマリアを含むその他の聖母マイヤ(アドナイの母)やマヤ(仏陀の母)は全てのMの頭文字で始まる


また乙女座とは”パンの家”を意味しており
穀物の束を抱えている聖母を表している


”パンの家”は小麦のシンボルで8-9月の収穫期を表している
実はベツレヘムとは”パンの家”という意味である
よってベツレヘムとは天空の乙女座の場所を指しており地球上の場所ではない

 

更にもう一つとても興味深い現象が12月25日冬至に起こる
夏至から冬至にかけて日中の時間は徐々に短くなり気温が下がり続ける


北半球から観測すると太陽は南下し弱まり乏しくなる
日が短くなり作物が絶える冬至の接近とは
古代人にとって死を意味していた(12月1日)
それは太陽の死であった(12月15日)
12月22日までには太陽の消滅は明らかになり
夏至から6ヶ月かけて南下し続けた太陽は
空の最低点に到達する


ここで不思議な現象が起きる


太陽の南下がここで止まる
少なくとも目測でこの3日間は(12月22、23、24)
この3日間太陽は南十字星と並ぶ
そして12月25日から太陽は今度は1度づつ北上し長い日中と暖かい春の到来を予測する


よって”太陽は十字架(クロス)で復活する為に3日息絶える”と言われている


だからイエスを含むその他の神々全てに
”十字架””3日死亡””復活”が共通する
これは太陽が北半球に戻ってくる為の停滞時期で春と言う救いを運んでくれる


しかし古代人は春分イースター”までは太陽の復活を祝わなかった


これは太陽が春分になるまで邪悪な闇に打ち勝たないからだ


つまり昼中が夜より長くなり生命力を与える春の到来を待っている為である

 

ではここで最も分かり易いのはキリストを取り囲む天体シンボルだろう


12人の使徒
すなわち彼らは十二宮の星座であり
太陽キリストと共に旅をする
十二宮のキリスト 11世紀

実際、12という数字は聖書で至る所に現れる
これは占星学上のもの以外何でもない

ここで太陽の動きを示す十二宮に話しを戻す

これは太陽の動きを記録した芸術や道具ではなく
異教徒の神聖シンボルでもある
これを部分的に見るとこのようになる

これはキリスト教シンボルではない
これは異教徒が十二宮の十字を適応させたものだ
だから昔のキリスト教アートには常に頭の部分に十字架がある
キリストは太陽であり
太陽の神であり
この世の光であり
再び誕生する救世主である
毎朝姿を見せる
神の栄光であり
毎朝生まれ変わることによって闇の支配から守ってくれる
雲の間から顔を出し
天の上で
光の冠をまといながら

 

では聖書の中に数多くある天文学、占星学的比喩の中で最も重要な一つに”時代”がある

聖書には数々の”時代”を参照するものがある


この”時代”を理解するために”春分点歳差”という現象を理解する必要がある

 

古代エジプト文明は、はるか昔から約毎2150年ごとに春分の日の出時の十二宮の星座が変わることに気づいていた


これはゆるやかな地球の自転と地軸の僅かなずれによるものである


これは春分点歳差運動と呼ばれている
星座が通常の年周と逆方向に動くからだ

歳差運動が12全ての星座を巡る1周期は
約2万6000年である

この周期は”偉大な年”とも呼ばれる
古代社会はこの事実を十分理解していた
そしてこの2150年の期間を
”時代(AGE)”とした

 

紀元前4300年から2150年の間は”おうし座の時代”である


紀元前2150年から西暦1年は”牡羊座の時代”である


西暦1年から2150年の間は”魚座の時代”である


我々は現在この”魚座の時代”にいる
そして2150年から新しい時代に入る
水瓶座の時代だ

 

実は聖書では、このシンボルの動きを3つの時代で表記しつつ次の時代を予期している


旧約聖書でモーゼがシナイ山十戒と共に現れた時
彼は人々が黄金の牛を崇拝しているのを見てひどく憤慨した


実際モーゼは石刻版を粉々に砕いて人々に心を清めるために殺し合えと命令した


多くの聖書学者達はこのモーゼの怒りは
イスラエル人が間違ったものを崇拝していたからだと理解している


実はこの黄金の牛とは”おうし座の牛”であり
モーゼは新時代の羊を表現していた


だからユダヤ人は今日でも羊の角を吹いている
モーゼは新しい牡羊座の時代を表現し
新時代の到来には全ての人々は
古い時代を捨て去るべきだとしている


他の神々もこの時代の移り変わりを細かく表現している


例えばミスラだ
ミスラはキリストより古い神で神話で牛を殺した
キリストとは時代を”魚座の時代”(2匹の魚)へ導いた人物だ
魚のシンボルは新約聖書では至る所に表記されている
キリストは5000人にパンと2匹の魚を与えたとされる
彼は信者との聖職の旅時に彼を慕う2人の漁師に救いの手を伸べた
我々はよくキリストの魚シンボルをよく車の後部で見るだろう


この意味を知る人は少ないだろう


これは異教徒の”太陽の王国”のシンボルであり
魚座の時代”を意味している
またキリストの推定誕生日はこの時代の始まりの日と推定される

 

聖書のルーク22:10で弟子達がイエス
次のユダヤの”過ぎ越しの祭り”はいつか尋ねた時


キリストはこう言った
”見よ、なんじが次の街に到着した時、水を運ぶ男に出会うだろう”
”そして彼の入る家へと続きなさい”と
この記述はまさに天文学的表記それだけである
水を運んでいる男は”水がめ座”で
常に水差しで水を注いでいるのを描写されている
”水がめ座”は”うお座”に続く
太陽(神の太陽)イエス魚座を去ると
”水がめ座の時代”に入る

 

春分歳差点で”魚座”の次は”水がめ座”だ
だからイエスはこう言っているだけだ


””魚座の時代”の次には”水がめ座の時代”が来る”

我々は”時代の終わり””世界の終わり”を聞いたことがあるだろう


聖書のヨハネの黙示録の漫画描写にもあるが
この記述は聖書のマシュー28:20からくる
キリストが言うように”世界の終わりには私も共にする”と


しかしキングジェームス版ではこの”世界”とは多くある誤訳の一つであるとされる


実際に使われている言葉は”イーオン”であり
”時代”を意味している


よって”時代の終わりは私も共にする”となり、これは本当だ


太陽の擬人イエスが”魚座の時代”を通り過ぎ
”水がめ座の時代”に入るからだ


聖書の”世界の終わり””時代の終わり”と言うコンセプトは全くの誤解でただの天文学の上の記述である

 

”世の終わり”を信じている約1億人のアメリカ人にこれを伝えて欲しい


更にキリストというキャラクターは文学的と占星学の掛け合わせでエジプトの太陽神ホルスを完全に盗用したものである

 

例えば3500年前に彫刻されたエジプトのルクソールの壁画ははっきりホルスの奇跡の誕生とその崇拝をはっきり表記している
(キリスト誕生の15世紀前)

 

壁画は聖母イシスがホルスを身ごもるところから始まり
(キリスト誕生の15世紀前)


聖なるゴースト”ネフ”が処女を妊娠させたことを描いている
(キリスト誕生の15世紀前)


これが聖母の出産、崇拝である
これはイエスの奇跡誕生物語そのものである

実際、エジプト宗教とキリスト教の類似には驚かされる


盗用は続く

 

ノアの箱舟”も古い言い伝えから直接盗用されたものだ


大洪水というコンセプトは古代には至る所にあり200以上の異なる時代と場所に記述されている

 

しかしキリスト前の証拠としてたった一つを参照すればよい

 

紀元前2600年に書かれたギルガメッシュ小説だ


この物語は神によって起こされた洪水の物語だ
物語には箱舟に助けられた動物や鳩の開放と帰省までも記述され聖書物語の中の一つにすぎない

モーゼにも盗用された物語がある


モーゼの誕生においては、アシの籠に入れられ川を漂流したとされている


幼児殺害を避けるためだ

 

彼は後ほど王族に拾われ王子として育てられた
この揺り篭の赤子の話はアッカド民族のサーゴンの話から直接引用された紀元前2250年頃の物語である


揺り篭に入れられたサーゴンは幼児殺害を避けるため川へと流された


やがて王族の助産婦アキーに助けられ育てられた

 

更にモーゼは法律人として知られ”モーゼの十戒”という法律がある


しかし、山で神から予言者に法律が伝えられるというアイディアも古くからあるモチーフにすぎない

 

モーゼも歴史神話学上の長期に渡る法律家にすぎない

 

インドではマヌウが偉大な法律家だ
クリートではミノスが神ゼウスから法を授かる為 ディクタ山を登った


エジプトではミシィスが神に与えられた法の石刻版を授かった

 

マヌウ
ミノス
ミシィス
モーゼ

 

モーゼの十戒”については完全にエジプトの死の本の呪文125の盗用だ


この死の本にあるフレーズの
”盗みはしない”が”なんじは盗むべからず”となり
”人を殺していない”が”なんじ殺すべからず”となり
”嘘をついていない”が”偽証すべからず”になっただけである

 

実はエジプト宗教がユダヤキリスト教の基盤になったと言えるだろう

 

洗礼
死後の世界
最後の審判
処女出産
復活
十字架はりつけ
聖書のはこぶね
割礼
救世主
聖餐
大洪水
復活祭
クリスマス
過ぎ越しの祭り
その他数知れず

 

すべては古代エジプトのアイデアであり
キリスト教ユダヤ教よりはるか昔のものだ
ジャスティンマーター(西暦100年―165年)キリスト教歴史学者で支持する第一人者はこう書いた

 

”我々の教祖イエスキリストが性交なくこの世に誕生したなら”
”十字架に架けられ死亡し生き返り天国へ登ったと言うのなら”
”神ジュピターの息子伝説を信じる者の信念と何も変わらない”
別の書物ではジャスティンはこう述べている

 

”彼が処女から誕生したということを真実とするならギリシャ神話の神ペルセウスを信じることと同じだ”

 

ジャスティン及び他の者のキリスト教徒達は
キリスト教がいかに他宗教と類似しているかを明確に承知してた


しかしジャスティンには理由があった


彼の見解では悪魔の仕業だと

キリスト生前に悪が現れ 他宗教に話を当てはめたと


キリスト教の根本はとても魅力的なんですよ

この人達は実際この世が1万2000年前にできたと信じています


その人達に聞きたいね


恐竜の化石について
彼はこう言ったよ
”恐竜の化石は神が我々の信仰を試すために地球に置いた”と
じゃあ俺もここで試されているんだろうな!


箱舟はどこ?

 

聖書とは天体学と神学の融合したもの以外の何ものでもなく他の神話と何も変わらない


実際聖書の中で移行されて別のキャラクターになったものがある

 

旧約聖書とはヨセフの話である
ヨセフはイエスの原型である

ヨセフは奇跡の誕生から生まれ
エスの奇跡の誕生で生まれた

ヨセフには12人の兄弟がおり
エスは12人の弟子がいた
ヨセフは20枚の銀貨で売られ
エスは30枚の銀貨で売られた

弟のユダがヨセフを裏切り
弟子のユダがキリストを裏切った

ヨセフは30歳で宣教活動を始め
エスも30で宣教師となった

類似は同様に続く

 

では実際に?

 

非宗教的な歴史証拠としてイエスと言う名前の男が存在しマリアの息子で12人の弟子達と旅をして人々を癒したという記録があるのだろうか?


当時地中海沿岸には数多くの歴史家が住んでおりイエスの生存前後に存在していたとされる
この中でイエスの記録を残したものがいったい何人いるだろうか?


一人もいない


しかし公平に振舞うためにキリスト支持者の反論を紹介しよう


4人の歴史家がイエスの実在について証拠を示している

 

”ピリニー””スートニアス””タスタィス”が最初の3人だ
だが彼らの記述はごく僅かで
”キリスト”を”クリスタス”と参照しているのみである
これは実は名前ではなく称号で
”清められし者”という意味だ

 

4人目の証拠はジョシーファスだ
しかし彼の証拠は偽証として数百年前から認知されている
残念だがこれは事実とされている

 

あなたは死から生き返った男が人々を見守るために天国に渡りすばらしい奇跡を起こしたことは歴史上あったと思うだろう

そうではなかった


なぜならこのように一度証拠が集まるとかなり高い確率でイエスキリストという男は実在さえしていなかった

 

キリスト教とは太陽崇拝でキリストという男を
太陽としたて敬意を払うパロディである

 

トーマスパイン 1737-1809年

我々は不親切ではなく現実的なだけです
我々は誰の感情も傷つけたくありません
正しい教育でありたいだけです

我々が正しい認識をしているか確認するためです
キリスト教は実話ではありません
実はキリスト教とはローマ帝国時代の作り話であり
政治的理由で創られたのです
実際はイエスとは聖書の中の太陽の神で他の宗教の神と同様に、神話上の人物だった
彼は政治的理由で社会操作するための創造上の人物である

 

西暦325年までにローマ皇帝コンスタンティヌスがニケーアで公会議を開いた

 

この議会の政治的背景によって”キリスト教理”は創作されたのだった


そして血をも流すキリスト教という神聖詐欺の長い歴史が始まった


続く1600年間バチカンがヨーロッパ全体の政治主権を握り微笑みながら暗黒時代を”十字軍”や”宗教裁判”などで率先してきた


キリスト教及びその他全ての神の信仰制度は時代詐欺である

 

宗教とは自然界と生命を引き離すように働き
お互いをも引き離してしまう


それは見えない力で人を制圧してしまう

それは神が全てを支配する事で人間の責任を減少させ変わりに醜い犯罪が神の名によって正当化される


一番重要なことはこの真実を知る者達が権力を持ち神話を使って社会を操作し支配している

 

宗教神話とは人類史上最強の発明であり人間の精神心理の奥に入り込み 神話が拡散するように働くのだ

 

神話とはアイデアであり 思想と広く知られている
さらに詳しく言うと宗教上では神話は人をまとめ 行動を起こすように機能する


狙いは現実性ではなくその機能性にある

しかし神話は国や社会で真実と受け入れられないと機能しない

 

これは討論の問題ではない

 

ふと他人に神の真実性について問いかけてしまうと信仰者達はその討論を快く思わない


信仰者達は彼らを無視し神の恥として非難するだろう

 

 


日本は「言霊」と「革命」に支配されている。それを超える情けある言論を。 言霊に縛られた考え方と革命的な思想を使わず、情けのある言葉を発して行きます。 言霊:言った言葉は現実となる。その現実が良くない場合、言った人が責任を問われるので、良い事ばかり言う方が良い。 運動会前に「明日は雨になりそうで傘は必要」と言う人が居て、雨が降ると「お前が言うから降った」と抗議され、「傘の心配までして雨を呼び寄せた」という信仰。 革命的な思想:現在の社会は間違ったものであり、正しい考え方の人間で社会運営してゆくべきという思想。 社会も永遠に近い時を経ている訳で全とっかえしたら大変な事です。 中国等に現出したこの世の地獄のような国家は酷いものです。 最近の風潮は堅苦しい正義を振りかざすような言論がまかり通っています。 物事の複合的な面を認められずに、悪い処を見つけたら人格否定、社会的抹殺をするやり方は革命的な思考、嗜好、志向だと思います。