転載します→ 当時の日本に想いをはせて、考えてみました。高校生か大学生の頃までは自分も自虐史観、サヨク的な考え方をしていて、戦前の日本はひど過ぎるなどと信じていました。 しかし、色々と調べると自分の思い込みを恥じるようになりました。
高校生か大学生の頃までは自分も自虐史観、サヨク的な考え方をしていて、戦前の日本はひど過ぎるなどと信じていました。
しかし、色々と調べると自分の思い込みを恥じるようになりました。
日本が戦争しても良いとか、人道的に悪いことは一切無かったとか、軍部は正しかったとか、これからも戦争するとか、そういう事は一切思っていません。
ただ、
1) 侵略と帝国主義は欧米の伝統であり、「戦争は外交手段」という常識である。
それは殆ど世界の全ての国で交戦権が認められている事からも、残念ながら、現在も国際常識である。
2) 日本は江戸末期から明治にかけて、世界で唯一、欧米帝国主義に対抗する有色人種であった。
日本は世界で初めて「全人類平等」の決議案を国際連盟(現在のUNではない)に提出し、
各国の支持を得て、過半数の得票を得たが、欧米の反対により廃案となった。
3) 日本は明治に「富国強兵」をモットーに欧米の植民地にならない為の必死の生き残り策を模索し、当時の世界の常識である列強の帝国主義に加わろうとした。
そして、国際法上、合法的に韓国併合、満州国建国を行った。
4) アメリカは遅れてきた帝国主義国家として、アメリカンインディアンなど先住民を虐殺し、北米大陸に合衆国を建国した。そして、太平洋を渡り、アジアへの利権をペリーの時代から現在も伺っており、これはアメリカの国益に沿ったものである。
5) 日本はアヘン戦争で疲弊している当時の清や、歴史的に中国にある国家の属国とならざるを得なかった朝鮮半島に欧米の列強の植民地化に対抗すべく、進出したが、かえって欧米の反発と、現地の人民の反発にもあった。
資源の無い日本に対して所謂ABCD包囲網で欧米列強は資源封鎖し、日本を追い詰めた。
日本が資源封鎖の包囲網にあった際に「聖戦断行」と見出しを出したのは、どこの新聞でしょうか?
朝日新聞です。今は、一度も戦争に賛成した事はないと言わんばかりの変節ぶりです。
そして、軍部が暴走したとは言え、一般国民はこの状況に「戦争やむなし」「戦争断行すべし」との認識を持っていました。
6) 追い詰められた日本は米国との交渉を幾度となく実施したがあらゆる妥協は受け入れられなかった。そして、東亜開放という詔をもとに開戦を決断する。イギリスは第二次世界大戦でドイツに対する劣勢より、アメリカ参戦をチャーチル自ら工作した。また、アメリカは真珠湾攻撃を事前に知りつつ、米国民からの参戦の支持を取り付けるために真珠湾の米国軍に攻撃の事実を知らせず、日本軍に真珠湾を攻撃させ、米国民に「卑劣な不意打ち攻撃した日本を潰す」という名目で参戦した。これは米国の公式文書で確認できる。
(この辺りは米国の奥の深いところで、自国の卑怯な判断も事実は事実として認めることはしている。)
これを聞いたチャーチルは、心から安堵し、非常に久しぶりの熟睡をした。
インターネット行政調査新聞/国内展望:2001年9月
「終戦後の昭和二六年五月、米上院軍事外交委でGHQ最高司令官だったマッカーサー元帥が証言を行っているが、この内容は現在も簡単に入手できるものだ。
マッカーサーはこう証言している。
「日本には多くの原料が欠如していた。そして日本が必要とするすべてがアジアの海域にあった。もしこれらの原料が断たれたら日本国内で一千万から一千二百万の失業者が出ただろう。日本はこれを恐れていた。従って日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだ」。
マッカーサーは日本が戦争に突入したのは、正しく「自存自衛」であったことを認めていたのだ。 」
Reference: Quoted from testimony of Douglas MacArther,
(in the period of Korean War)
Committee on armed services and the committiee on Foreign relations, Thursday May,3, 1951
Inquiry Into the Military Situation in the Far East and the Facts Surrounding the Relief of General of the Army Douglas MacArthur from his Assignments in that Area
STRATEGY AGAINST JAPAN IN WORLD WAR Ⅱ
”Senator HICKENLOOPER. Guestion No.5:Isn’t your proposal for sea and air
blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?
General MACARTHUR. Yes,sir.In the Pasific we bypassed them.We closed in.
You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80
million people,crowded into 4 islands. It was about half a farm population.
The other half was engaged in industry.
Potentially the labor pool in Japan,both in quantity and quality,is as good
as anything that I have ever known. Some place down the line they have
discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier
when they are working and constructing than when they are idling.
This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.They built the factories, they had the labor,but they didn’t have
the basic materials.
There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
They lack cotton,they lack wool,they lack petoroleum products,they lack tin,
they lack rubber,they lack a great many other things, all which was in the
Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12
million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to
war was largely dictated by security.”
米軍人がsecurityという単語を使う場合には一国の「安全保証」という意味になります。
英原文はWeb版「正論」・Seironに掲載されています。
本当の敵は日本ではなく中国やソ連の共産主義だと実際に日本を占領し、
その地政学的な面、資源小国であった事を実感したことからも、
日本の取った行動を理解したと言われています。
7) 日本は韓国、台湾に本土と同じような教育、道路、感慨、法制度、等々のインフラ整備を実施し、その地域の発展に寄与した。人口は増え、衛生状態は改善、教育機関が発達し、主要な道路や鉄道が建設され、産業振興があった。
欧米の植民地の愚民化政策とは一線を画した。
8) 日本は敗戦し、日本の一部であった現在の韓国と北朝鮮、台湾は連合国に占領された。
米国占領軍は「WAR GUILT INFORMATION PROGRAM」=WGIP=訳せば、戦争罪悪感刷り込み計画、
という過去の日本否定、日本の戦争理由の否定、米軍GHQに対する一切の批判の禁止、
などを主旨とする計画を実施し、日本人の思想改造を計画し、実行し、ほぼ成功した。
それは日本人に「大東亜戦争は人類に対する犯罪行為であった」という罪悪感を無理矢理植え付け、日本古来の精神文化を奪う犯罪的プログラムであった。
韓国は韓国が主張するように日本から独立したのではなく、米国の占領軍から19461948年8月15日に独立した。
9) 日本の敗戦間近の時期に、米軍は一般市民の犠牲を目的に東京大空襲など、「木と紙で出来た家には焼夷弾が一番、殺傷能力が高い」と判断し、日本の殆どの主要都市で無差別空爆を実行した。
日本が降伏の為の交渉している最中に、もはや戦意の無い日本の広島と長崎に原爆を投下し、一般市民を虐殺した。これに対して米国は一度も謝罪していない。
(上記と異なり、現在も戦争終結にやむを得ない攻撃と主張している。)
原爆の人体実験の実施、戦後のソ連、中国への牽制、が目的であった。
10) 敗戦後、「東京裁判」という名前の米国による私刑が実施された。
原告、検事と裁判官が全員、米国を中心とする連合国であった。弁護士は、米国と連合国に不利な材料は提出できなかった。
「東京裁判」では、当時、突然に編み出された「人道に対する罪」「平和に対する罪」で所謂「戦犯」を裁いた。
法律において、権力者(この場合、連合国)が絶対にしてはならない事として
「事後法」で裁く、という事がある。「事後法」とは誰かの行為を、その行為をした後で、罪と認定する法律を作る、ということである。
これがまかり通れば、例えば、今日、誰かが「護憲」を主張する集会を開いた後で、国会で「護憲集会禁止法」を制定し、来月にその集会の主催者を逮捕できる。
同様に「サッカー集団視聴禁止法」「カラオケ禁止法」「婚外男女交際禁止法」「ホワイトバンド販売禁止法」「上場株式を経営者に通知せずに売買することを禁止する法律」「放送局の上場株式を売買する資格に関する法律」「プロ野球球団の親会社の株式を売買するにはナベツネに事前承認を必要とする法律」(笑)などを、事後的に作って、法律施行以前の人を罪に問うことができてしまいます。
この「裁判」での裁判官で国際法の専門家は唯一、インドのバール判事は「日本の無罪」を主張し連合国に無視された。
以下の記事を参考にして戴きたい。
国際交流史「インド(チャンドラーボーズとバール判事)」
「<パール判事と東京裁判>
極東国際軍事裁判所十一名の判事の中、ただ一人インドのラダビノッド・パール判事は膨大な判決書で、堂々と日本の無罪と正当性を主張した。判決書は法理論に基づいて、東京裁判が国際法の精神に如何に反するかを明らかにしている。その要点は下記の通り。
1.国際社会において、如何なる種類の戦争も、犯罪又は違法とはならなかった。
2.政府を構成し、政府機関で業務を遂行する人々は、その行為について、国際法上、如何なる刑事責任を負うものではない。
3.国際団体は、国家又は個人を有罪とし、これを処罰する為の法的手続きを、国際団体内に包括する段階には到達してない。
4.日中事変以降において米英は中立の義務を遵守していたのか。
国際法の基本原則は、武力紛争の当事国の一方に対して、武器・軍需品の供与・輸出を禁止してます。それを行った場合は軍事干渉に当たり、宣戦布告の有無に関わらず、戦争当事国となります。しかるに米英国は中国に経済的・軍事的に援助を行っており、また日本政府はそれに対して抗議していました。更に1945年12 月、米国上下両院合同調査委員会で、米国軍人が日米開戦前に、フライングタイガー社の社員に偽装して、中国で戦闘行動に従事していた事を認めてる。更に 1991年、米国国防総省は、義勇兵259名が正規兵である事を認めた。
5.米国は11月27日前哨地帯の諸指揮官に対し、戦闘態勢に入るよう秘密指令を出した。米国議会はこの事実に驚嘆し、上下両院合同の査問委員会を結成し、軍部の挑発行為を厳しく非難した事実がある。
6.1946年まで有効な日ソ間の中立条約を一方的に破り、ソ連は1945年の8月に宣戦布告してる。日本から降伏の調停の依頼があったことを考えれば自衛戦争にはなりえない。
パール判決文の最後は有名な下記の文が綴られてます。
「時が、熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、その時こそ、正義の女神は秤の平衡を保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。」
このような内容の判決書は連合国によって公刊を禁じられ、ようやく1957年になってようやくインドのカルカッタで出版された。オーストリアの著名なフェアドロス教授編集になる公法雑誌に掲載された書評では、「本書を読むと、他の裁判官は全部盲目のように思われる。いつの日か、パール判事が正しかったといわれるようになる日が、到来することを切に願う。」と紹介された。
<パール判事の日本人への言葉>
「この度の極東国際軍事裁判の最大の犠牲は法の真理である。われわれはこの法の真理を奪い返さねばならぬ。」
「日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい。」
<ラダ・ビノード・パール 広島高等裁判所講演 >
要するに欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であった。・・・・私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。
<広島の原爆慰霊碑「過ちは繰り返しません。」を見て>
東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のプロパガンダと情報操作がこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。東京裁判の影響は原子爆弾の被害より甚大だ。」
11) 「東京裁判」を受けた人は、その裁判が合法的なものかどうかはともかく、連合国の処罰を受け入れ、全員が刑期を終えており、かつ、「東京裁判」が実施された時期も講和条約締結の前であったことから、死刑になった方々も、「獄死」ではなく「戦死」扱いになっている。
裁判が正式なものとしても「処罰は受けている」、わが国の法律上は「戦死」「法務死」である。
人が罪を(犯したとしても)償えば、許されるというのが、法治国家の原則です。
交通違反したら、罰金など払えば、許される。脱税で罪を犯しても重加算税と判決を受け入れ、刑期を終われば、元の一般人に戻る。
人を殺めても、刑期を終了するか、死刑などの判決を受け入れ実行されればその時点で法律的な償いは終わっている。
ということです。
「事後的に創作された、人道に対する罪、平和に対する罪、に問われ、原告、検事と判事が同一の利害から来る人々で構成された「私刑」の判決を受け入れ、死刑となり、戦後、その反省から社会党や共産党も賛成した国会決議で名誉回復になった人々」を戦犯と呼び、彼らに一切の責任を押し付けて、戦後の自分達はこれを非難、批判していれば、罪を逃れて「無罪の人間」として生きて行ける、と思えるのはおかしいと思います。
「所謂A級戦犯の方々の神霊の合祀は、昭和二十八年五月の第十六回国会決議により、すべての戦犯の方々が赦免されたことに基づきなされたものです。」
12) 中国と韓国に対する正式な賠償問題は国際法上、全て、決着している。
更にODAによる多額の開発援助を実施している。
13) ソ連は、日本が終戦間近に、和平仲介を依頼したのに対して、日ソ不可侵条約を無視し、1945年8月8日(広島原爆投下の翌日)に日本に宣戦布告し、北方領土を占領し、日本領土であった満州と(現在の)北朝鮮を占領した。
14) 日本の敗戦後、アジア諸国は初めて欧米列強にも勝てる可能性を見出し、次々と独立した。それまでは有色人種は欧米に勝てないと信じていた。
日本に感謝する国々はマレーシア、インドネシア、台湾、パラオ、ミャンマー、フィリピン、タイなど数多くあります。
(日本に友好的な国ではトルコ、ベルギー、オーストラリア、スウェーデン、ノルウエー、フィンランド、アフリカ諸国などなど多くあります。)
もしも日本が戦わず、植民地となっていたほうが良い、と思うならば、そのように行動し、米国や中国にでも移住して貰って、良いと思います。
今日の日本があるのは良かれ悪しかれ、今までの日本人と日本が生きてきた全てを受け継いでのものであり、突然に戦後に全てが生まれた訳ではないのです。
その中で、日本と国民の為に働き戦い、許されない事後法で裁かれた人が、それを受け入れ刑期も終え、目には見えないけれども合祀されている神社に参拝して、他国に言われる筋合いはないでしょう。
(百歩譲って、干渉している国々には「それでは、この問題が決着するまでは一旦、賠償とODAを返済してください。もう一回、交渉しましょう。」といわざるを得ません。)
日本が戦争しても良いとか、人道的に悪いことは一切無かったとか、軍部は正しかったとか、これからも戦争するとか、そういう事は一切思っていません。
が、当時の世界と日本の情勢から日本がやむなくそのような行動を起こし、何世紀にもわたる欧米列強支配の世界に対して行ったことは、何がしかの正義を持っていたと思うのみです。
過去のことは過去の情勢の知識を得たうえで、想像しうる最も正確な過去の基準で考え、
現在のことは過去に学び、将来を見据えた上で、現在、考えることしかできないはずです。