言霊と革命を超えて

日本は「言霊」と「革命」に支配されている。それを超える情けある言論を。 言霊に縛られた考え方と革命的な思想を使わず、情けのある言葉を発して行きます。 言霊:言った言葉は現実となる。  革命的な思想:現在の社会は間違ったものであり正しい考え方の人間で社会運営してゆくべきという思想。社会も永遠に近い時を経ている訳で全とっかえしたら大変な事です。 中国等に現出したこの世の地獄のような国家は酷いものです。

ちょっと泣けるTBSの記者をやめさせられた山口 敬之さんFBから⬇︎

【TVの反対側で見る日米首脳会談】 
2001年の第一次小泉内閣発足以降、私は全ての日米首脳会談をTBSの記者として何らかの形で取材し、原稿を書き、解説をして来ました。 
今回も、戦後70周年という節目の年に行われる歴史的首脳会談をどう伝えるか、ワシントン支局長として半年前から様々な準備を進めていました。 
ところが、記者廃業を宣告された今、このニュースをテレビで見ています。 
包丁なくした料理人。 カメラを盗られたカメラマン。 ペンを折られたジャーナリスト。 
こういう状況に置かれた時に、何を考えどう行動するか。何と闘い誰を赦すか。じっくり考えてます。 
【私を構成する要素】 
日本人。ジャーナリスト。サラリーマン。テレビ局員。ワシントン支局長。 息子の父。妻の夫。父母の長男。上司の部下。支局員の管理者。 
私は社会的にいろいろな要素で構成されている。そして、それらが渾然一体となって日々の生活を送っている。しかし人生の岐路に立たされた時、自分の中の構成要素同士が両立し得ない事がある。 
時には、自分にとって何が最も重要か、究極の選択を迫られる事もある。 
今回私がどうしても譲れなかったものが3つあった。日本人である事。ジャーナリストである事。そして、息子の父である事。この3つは私が私であるための核である。 
いま私は伊豆の海を見ている。源頼朝平治の乱に敗れ、官職を剥奪され父と長兄次兄を殺された挙句流された地だ。 
自分の核のほとんどを奪われた頼朝は、何故生き抜く事が出来たのか。この海を見て、何を思ったのか。この後征夷大将軍に駆け上がっていく後半生より、配流の地伊豆での頼朝の日々が知りたくなった。 
…私の悩みなんて、小さいなぁ。 
【流刑ってなんだろ?】 
平治の乱に敗れ、全てを失った源頼朝が流された静岡県の蛭ケ小島に行ってきました。 
日本晴れの伊東から、思いの外急峻な山道を車で登り、さらに一時間ほど走って辿り着いたその地は、「流刑」という言葉の陰惨な響きとは裏腹に、伊豆半島の付け根の狩野川河畔の高台の、のどかな田園地帯の一角にありました。 
14歳でここにやってきた頼朝は、彼の人生を変える女性と出会い、20年後の1180年に挙兵、鎌倉開府はその12年後です。頼朝の配流中の公私両面での様々な出会いがなければ、日本の歴史は随分違うものになっていたのかもしれません。 
逆境にあった歴史上の人物の内心を推し量りにきたつもりが、蛭ケ小島には「逆境感」が全くないどころか、頼朝の勇躍飛翔のまさに源の地だった事を新たに知る事となりました。 
この地で頼朝を支えた多くの男女に想いを馳せる時、つい先日Facebookでお知り合いになった方が下さった「雨中の友が真の友」という言葉を思い起こしました。 
武士の世の父であり日本の歴史を作った頼朝に自分を比すほど私は厚顔無恥ではありませんが、いまの私に励ましのお言葉を下さるたくさんの方々に、改めて深く感謝の気持ちを伝えたくなりました。
[山口 敬之さんFB]



日本は「言霊」と「革命」に支配されている。それを超える情けある言論を。 言霊に縛られた考え方と革命的な思想を使わず、情けのある言葉を発して行きます。 言霊:言った言葉は現実となる。その現実が良くない場合、言った人が責任を問われるので、良い事ばかり言う方が良い。 運動会前に「明日は雨になりそうで傘は必要」と言う人が居て、雨が降ると「お前が言うから降った」と抗議され、「傘の心配までして雨を呼び寄せた」という信仰。 革命的な思想:現在の社会は間違ったものであり、正しい考え方の人間で社会運営してゆくべきという思想。 社会も永遠に近い時を経ている訳で全とっかえしたら大変な事です。 中国等に現出したこの世の地獄のような国家は酷いものです。 最近の風潮は堅苦しい正義を振りかざすような言論がまかり通っています。 物事の複合的な面を認められずに、悪い処を見つけたら人格否定、社会的抹殺をするやり方は革命的な思考、嗜好、志向だと思います。