誰しも偽善者と呼ばれたくない。
そこで、我々は、
少しの悪を露出して見せる事で、せめて偽善者では無い事を証明しようとしているのか?
偽善者で無い事は、いい奴の証明にはならない。
「バカ真面目の優等生は陰で何をやっているか分からないよな!」という偏った価値観で「バカの出来る奴」を必要以上に褒めそやす、そんな風潮があるのだろうか?
オイラは「正面切って良い事をする、たとえ偽善者と揶揄されようとも!」というのは、とても、勇気のある良い事だと思っている。
「優等生ぶって」「偽善者」という批判を受けても構わないから、良いと信じる事を行う。
素晴らしい事だと思う。
良いと信じる事が何なのかは、非常に難しい。
恵まれない子供に寄付をするつもりが、極左団体に資金を提供する結果になったら後悔する。
すると、騙されない為に、勉強する。
勉強せざるを得ない。
本当に良い事とは何か?それを、研究し続ける事になる。
面倒くさい。
研究する内に興味深い事もあるだろうが、たいして笑えたりする事では無い。
しかし、それは、
露悪家になって、バカの出来る奴になって、バイト先で食品を口に咥えて、評価されていると勘違いしたり、何か成し遂げたと勘違いする大馬鹿ものよりは、何千倍もマシだ。
青年よ、良い事をしろ!騙されるな!
良い事をして、ツイッターに呟いて、少しだけ世の中を変えろ!
難しいだろ?
でも、
露悪家になって、安易な道に進んで、ツイッターで拡散されても、人生を棒に振る代わりに、数千人にアホと思われるだけだ。
ふざけるな!
面白くない!
お前は芸人じゃないし、それが芸人みたいと思っているなら、芸人さんに失礼だ。
そんな事はやめろ!
良いと信じる事をしろ!
一度しか無い人生を考えろ!
ここまで、読んだら、実行して欲しい。
オイラからの、あなたと世の中にとって良いと信じる事の提案です。
無視して、皮肉っぽく笑うのも自由だ。
しかし、本当に本当に、あなたは、ひとときの「承認欲求」などと命名された事で、それだけやってれば、良いのか?